70年代を通し、ターター&ルーズは毎年のように新作アルバムを発表し、シングル曲は確実にチャートのトップ10入りを果たした。
寝たり起きたり食べたり出したりするように歌が作れるので、ターターにとって新曲のアイデアが尽きる事など、あるはずもなかった。
そしてハチミツのような歌声は成長していくに従って、更なる芳醇さを増していくばかりだった。ミュージシャンとしてのターターの人生は、順風満帆以外の何ものでもなかった。
けれどもターターはグループだけで過ごす時、いつもさみしい思いをしていた。
四つ子のルーたちはまるでテレパシーでもあるかのように、言葉を交わさなくても、お互いの気持ちを常に理解し合っていた。
でもターターは、そうはいかなかった。
しかももともと、大勢の兄姉の中でもルーたちとはあまり気が合う方ではなかった。
何かを決める時、例えばステージ衣装のデザインからツアー先でのケータリングのメニューに至るまで、必ず意見は4対1に別れた。
テレパシーがなくてもわかっている唯一のことは、彼らがいつも自分に対し、
「リーダーだからって、ガキのくせに調子に乗ってんじゃねえよ」
と、とても強く思っている、ということだけだった。
だからターターはさみしくないように他の兄姉たちをグループに加えようと何度か試みたが、彼らはレコーディングやライブの現場に、なぜだかどうしても、忘れたり寝坊したりお腹が痛くなったり方向音痴だったりして、絶対にたどり着くことが出来なかった。ピーボは概ねいつも、塀の中にいた。
なので、5人で続けていくしかなかった。
ターターがようやくさみしさから解放されたのは、彼が15歳になった年のことだった。
パトリシア(Patricia)というちょっと年上の少女と、出会ったのだ。
彼女は、ターターの初めてのガールフレンドとなった。
パットは最高に可愛らしく、優しく、頭も良く、そして何よりも、他の誰よりもターターの気持ちを理解してくれた。
ターターは彼女に夢中になり、パットのことだけをテーマに、わずか3日間でアルバム10枚分の歌を書き上げた。その3日間、ターターはずっと空中に浮遊し続けていた。寝てる時も。
100曲を超えるそのほとんどはかなりの傑作だったが、さすがに10枚組アルバムなんて売れるわけがないとレーベルはそれらをボツにし、唯一「My Sweet P」(邦題「愛しのピーちゃん」)のみがシングルリリースされ、ベスト1ヒットとなった。
若桑井に初めてボーイフレンドが出来たのは、96年、彼女が17歳の夏のことだった。
相手は高校の同級生の寺之馬(てらのば)君という、顔も体も全体的に四角い、短く刈った髪が直毛で強(こわ)い男子だった。
若桑井は彼の側頭部の剣山みたいに毛羽立ったところを、指先でワシャワシャするのが好きだった。
夏休みのある日の夕暮れ時、二人は毎日のように公園や地元のスーパーの「ほのぼの広場」(冷めた美味しくないたこ焼きやアメリカンドックとかを売っている一角)などで会って雑談に興じていたのだが、その日、寺之馬君がふと提案してきた。
「せっかくの夏休みなんだから、二人で何か大人っぽい、不良っぽいことをしてみない?」
若桑井は、ニッコリとうなずいた。彼女には、大人になったらこれをやってみたい、と思っていたことが一つあったのだ。
若桑井の住む町には、ちょっと変わった60歳くらいのおじさんがいた。その印象を簡単に言うと、全体的にヨレヨレな、ちゃんとしていないおじさんだった。
その人は、仕事をしているのかどうかも定かではなかったが、いつも夕方になると出先から自転車に乗って家路に向かいながら、ハンドルを握る片手に缶ビールと何らかのつまみ(主に魚肉ソーセージやチーかま)を器用に指と指の間に挟み、ゆるゆると移動しながらそれらをとてつもなく美味しそうに味わっていたのだった。飲酒しながらの運転。
若桑井はその姿をよく目撃し、彼が警官やちゃんとした大人の人たちからものすごく叱られているところも、何度か見掛けていた。
おじさんはその度にくしゃくしゃにしおれたように反省した態度を見せるのだが、少しほとぼりが冷めると、また同じことを繰り返していた。
だからあれは、よほど気持ちがいいことなのに違いない。
若桑井は、そう睨んでいた。
と言うわけで若き恋人たちは寺之馬君の自転車に二人乗りして、「夕暮れ移動居酒屋」を実践してみることにした。
二人は自動販売機でレモン酎ハイをチャリンガコンと手に入れ(このころは全然こんなだった)、もたもたしていると夜になってしまうのでギョニソーの購入は諦め、乾杯してから、河原の土手沿いの道をタンデムにてゆるゆると走り出した。
思っていたよりも、美味しくなかった。大人って、こんなに不味いものを我慢して飲んでまで酔っ払わないとやっていけないんだ、と若桑井は全大人に対して憐憫の情を催しもした。
けれども夕陽と、ほど良い夕風と、流れていく風景を眺めることと、それらを悪いことをしながら寺之馬君と二人だけで共有しているというこの事実は、思っていたよりもずっとずっと、心地良かった。
若桑井は天にも昇るような心もちになったが、そういう能力は無かったので、物理的には1ミリも体は浮かばなかった。
ところが出発点から200メートルを超えた辺りで、異変が起こった。
寺之馬君は酎ハイを一口飲んだだけで頭がクラクラしていたらしく、いきなりよろけて自転車を派手にこかし、二人は抱き合うように河原の土手をゴロゴロゴロと転げ落ちた。
その間じゅう、寺之馬君は悲鳴を上げ続けたが、若桑井はウヒャヒャヒャヒャと笑っていた。
川にドカンボコンと落ちる寸前で二人の体は何とか止まり、寺之馬君は概ね無傷だったが、若桑井は全身十数カ所を打撲し、左手小指を骨折した。
けれど若桑井は夜の始まりへと変化していく夕空を見上げつつ、しみじみと思った。
一日の中で一番気持ちのいい時間帯が夕方であることには、20人中12位の頃くらいから薄々気づいていた。
然るに、今日、このたった今ほど気持ちのいい夕方が、未だかつてあっただろうか。
いや、なかった。
自分はこれからもずっと、こうして寺之馬君と共に夕空を見上げ続けていくのだろう。
そんな若桑井の傍らでは、寺之馬君がびっくりするくらいの勢いで放物線を描きながら、大量の胃の内容物を川面へと噴出していた。お昼に、同居しているお婆ちゃんが茹でてくれたそうめん6輪とデザートのスイカ半玉であった。