ターターとアメイジング・シンギング・ベアのデュエットアルバム「Furry & Smooth  Songs」(邦題「ふかふかとすべすべ」)は、爆発的なヒットを記録した。
 そしてロスアンゼルスのハリウッド・ボウルにて、デュオでの初めてのライブが開催されることとなった。94年の、春だった。

 観客の前ではヤロミールの首輪を外すことを、ターターは強く望んだ。
 なぜなら彼は歌の相棒であり、唯一の親友だったからだ。鎖でつながれた姿をファンの前にさらすことなど、したくなかった。
 だがヒゲ美女は、絶対にそれを許さなかった。
 なぜなら子熊の頃からずっと面倒をみてきたからこそ彼女は、なんだかんだ言ってもやっぱり奴は所詮マザファッキンアニマルでしかないと、むしろ冷静に考えていたからだった。

 結局ヤロミールは少し時代遅れのラッパーのように、大粒のダイヤを散りばめたゴールドチェーン(純金だと引きちぎっちゃうかも知れないので、メッキしたスチール)をアクセサリーみたいに首にはめられ、ライブが始まった。
 それは、最高のステージとなった。

 サーカス時代とは比べものにならない大観衆を前にしてもヤロミールはリラックスしていて、ターターのアドリブにも巧みなハーモニーで応えた。
 オーディエンスたちは二つの声を聴きながら、体を揺らし、微笑み、涙を流した。中には感激のあまり失禁したり嘔吐したり、今まで出したこともない何だかわからないものを体から噴出させる者も、少なからずいた。
 そんなライブがクライマックスに差し掛かった時だった。
 ターターは突然、セットリストにない歌を即興で歌い始めた。
「フリー、ジャローム、フリー。ジャージャーに自由を。君は見世物じゃなくて友達だ。熊は動物じゃなくて人間だ。いや、僕にとっては人間以上さ」(邦訳)
 予定外のことにバンドは思わず演奏を止めたが、ヤロミールは初めて耳にするその歌に、平然と絶妙に声を合わせた。
 会場には二つの声だけが、おだやかな風のようにそよぎ渡っていった。
 ターターは歌いながらヤロミールに寄りそってハグ(初めてだった)し、頬にキス(初めてだった)すると、ヒゲ美女しか持っていないはずの鍵を衣装から取り出し、金鎖つきの首輪を優しく外してやった。スタッフの一人に小遣いを渡し、こっそり合鍵を作らせていたのだった。
「ほら、もう君は自由さ。君は、やりたいことを何でもやっていいんだ」
 ターターは歌いながら、自分さえもが今までよりもずっと自由になれた気がして、嬉しくて嬉しくて、歌いながらゆったりと宙空に浮かび始めた。
 けれどもそんなに高く上昇することは、残念ながら出来なかった。
 ヤロミールが、ターターの足にガブリと食らいついたからだった。


 やりたいことを何でもやっていい、と本人がお墨つきをくれたのだから、仕方がないと言えば仕方がなかった。
 Mr.ジャロームは当然のことながら、ハチミツが大好物だった。
 そして歓喜にあふれたターターの歌声は、いつにも増してスウィートハニー度が最高潮に達していた。
 やはり人間ではなく動物であった親友は、どうにも我慢が出来なくなってしまったのだった。

 大観衆が呆然と見つめるわずか数秒の間に、ヤロミールはあっという間にターターの全身の60%ほどを食べてしまった。
 100パーに至らなかったのはステージに飛び出してきたヒゲ美女が、違法に所持していたウージーでヤロミールをハチの巣にしたからだった。
 撃ちながらヒゲ美女は泣いていた。ファッキンアニマルであろうとも、彼女もヤロミールを愛していた。

 驚くべきことに、ターターは何とか一命を取りとめた。
 頭と心臓と肺、あと左腕と、そして大切な喉だけは、無傷だった。
 一番美味そうなところ(すなわちハチミツ度が最も濃厚であろう喉)を最後までとっておくのが、ヤロミールの食事作法だった(そんなところは、彼は動物よりも人間に近かった)。

 イスラエル製の短機関銃で穴だらけにされたヤロミールは深手を負いながらも、会場から逃走した。
 手負いの獣の走る速度は尋常ではなく、彼は時速70キロを超える猛スピードで車やバイクを蹴散らしながら西へと進み、港から海に飛び込んだところで消息を絶った。
 そしてすぐに溺死し、魚たちの餌食になったのだろう、というのが最も有力だが、そのまま海を泳ぎきって海外逃亡に成功したという説を信じる者も、少なからずいた。
 これまでにカナダ、ロシア、北朝鮮等の人里離れた森の中から、ターターの楽曲をおだやかに歌う何者かの声が聴こえてきた、という情報がたびたび報告されているからだった。



 若桑井が初めて熊を食べたのは、29歳のある日のことだった。
 友人の紹介でデートをすることになった、家電量販店でチーフ何とかをしている愛知河(えちか)さんに、熊鍋を出す居酒屋に連れて行かれたのだった。
 初デートでいきなりトリッキーなものを食べさせることを、良かれと思ってやるタイプの人って、まあまあ苦手だな、と若桑井は思った。


 けれども、良かれと思って自転車での飲酒運転や不法侵入を恋人に付き合わせた自分も、似たようなものかも、あるいはもっと酷いかも、と思わなくもなかった。
 似ているかも知れないが二人の会話はあまり噛み合わず、初熊も、美味しくなかった。
 口に含んだ熊肉の小片を奥歯でいつまでもコニョコニョながら、若桑井はヤロミールに思いを馳せた。
 一瞬であんなに食べちゃうなんて、ターターのお肉はよっぽど美味しかったんだろうな。それにしても、少なくともこの店の熊鍋は、臭くて筋ばってて本当に美味くない。

 結局、愛知河さんと会ったのはこの日が最後となった。
 数日後、若桑井はなぜだか愛知河さんを殺して全身を上手に解体して鍋にして食べる、夢を見た。美味しくないのでほとんど残す、夢だった。
 ハッと目覚めて時計を見ると、日付が変わって5月17日になっていた。
 いつの間にか、30歳になっていた。

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及川章太郎

おいかわしょうたろう 宮城県生まれ。脚本家、作家。主な作品に映画「東京ゴミ女」(00)、「せかいのおわり」(05)、ドラマ「I LOVE YOU」(13)、絵本「ボタ福」、小説「ハリ系」他多数。仙台市在住。

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伊津野果地 KAJI IZUNO

いづのかじ イラストレーター、アーティスト。立体・平面作品の制作の傍、書籍、主に児童書の挿画を手がける。長野県安曇野市在住。


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