ターターが集中治療室で昏睡状態から目覚めたのは、親友に食べられてから9ヶ月後のことだった。
右手とお腹とお尻と、喉の次に大切なところと、両足がむずがゆい気がして左手でその全部をかきむしろうとしたら、その全部がどこにもなかった。
生きているだけでも奇跡であり、また歌うことなんて絶対に出来るわけがない。
あなたは余生をずっと、このベッドの上でひっそりと過ごすのです。
医師たちはそう太鼓判を押した。
命の恩人であるヒゲ美女も、ストリートギャングから購入していた沢山の銃器の不法所持がバレて警察に追われ、どこかへ逃亡してしまった。
両親と兄姉たちはターターのそばにいてやろうとしたが、なぜだかどうしても忘れたり寝坊したりお腹が痛くなったり方向音痴だったりして、病院に見舞いに行くことも出来なかった。ちょうど初めてプエルトリコに渡るところだったルーたちはその飛行機が墜落して4人だけ無人島に漂着し、サバイバル生活をまあまあエンジョイしている最中だったので、ターターの悲劇を知る由もなかった。そしてピーボは遂に終身刑を食らって、助けて欲しいのはむしろ俺の方だ、と思っていた。
今度こそ、本当の本当に一人ぼっちになっちゃった。
赤ん坊のように号泣する体力も気力もないターターは、広々とした最先端医学が結集したセレブ病室のふかふかのベッドの上で、小さな声で「む~~~」と泣き続けた。
ターターは、完全に表舞台から姿を消した。
彼に関する新しい情報が公式に発表されることもなく、「実はもうとっくに死んでいる」だとか「実は宇宙人である彼は、使命を終えて母星に帰ったのだ」とかいったゴシップのみが、時折語られるだけだった。
そして人々は、徐々にターターのことを忘れていった。
若桑井は、真っ暗闇の中にいた。
パートさんが病欠したので、代わりに会社の倉庫でカップ焼きそばその他の在庫整理を一人でしていたら、突然それらを梱包した大量のダンボール箱が頭上から雪崩れ落ちてきて、下敷きになってしまったのだった。
わたしはややもすると、死んでしまったのだろうか?
若桑井はまずそう思ったが、体のあちこちがかゆくなってきたので、死んではいないようだと判断した。
そして何とか手を動かしてかゆいところをかいてみると、ちゃんとかゆいところに手が届き、ターターみたいなことにもなっていないと、判断した。
それからゆっくり時間を掛けて、若桑井は自力で段ボールの山から脱出した。
怪我は軽い擦り傷や打撲だけだったが、段ボールにこすれまくったせいで髪の毛がボッサボサに逆立ってしまっていた。
でもまあ、わたしは今、ちゃんと生きているんだなあ。
若桑井は相当久々に、自分が生きている、ただそれだけのことを、しみじみと実感せずにはいられなかった。
倉庫の壁に掛かっていた時計で時間を確認しようとしたら、時計は床に落ちて壊れていた。
ターターの誕生日(を若桑井は毎年一人で勝手に祝っていた)から6日後の、3月11日の午後のことだった。
幸いなことに、若桑井の家族も友人も会社も、大きな痛手は負わずに済んだ。
この日から少なくとも約2年ほどは、わたしは生きている、ということを日々実感しつつ、それまでになかったくらい、知らない人々にも優しくなれたりしながら、暮らしていたような気がする。
と若桑井は後から振り返ってそう思わなくもなかったが、残念ながらそうした気持ちは、そんなに長持ちしてはくれなかった。
いつの間にかまた「普通」に戻ってしまったというのか、自分が生きているということを自分でも忘れてしまいそうな、何ということもない30代の時間が、サクサクと過ぎ去るようになっていった。
ついでのように記すのもどうかと思うが、ついでに記すと、若桑井は生き埋めになった年の夏、超久々に寺之馬君と再会した。
かつては縦長の長方形のようだった寺之馬君のボディは正方形のようになっていたが、中身は、相変わらずの寺之馬君だった。
二人はあの夏が当たり前にずっと続いていたかのように当たり前に交際を再開し、この年の暮れに入籍した。何だかお互いに、「わたしは生きている」感で妙に盛り上がってしまったのかも知れなかった。若桑井幸子は、寺之馬幸子になった。
そして二年後、寺之馬君は再び若桑井のもとを去って行った。若桑井も、止めなかった。
どうしてこうなったかということを説明しようとするとそれはとても長い説明になり、そう説明したところで正確に説明出来た感じはちっともしないのでここでは説明を省くが、ともかく、そうなった。寺之馬幸子は、若桑井幸子に戻った。
離婚というのは失恋とは全然別種のものであるらしく、別に涙はちょびりとも出なかった。
それが何だか妙にさみしく、さみしくなってもやっぱり鼻水も垂れず、若桑井はアイチューン的なヤツにどっさり入っているターターの歌から一曲を選び、小さめのボリュームで流し始めた。