ついに僕にも、親友が出来た。
ターターがようやくそう思えたのは、93年にライブでチェコ共和国のプラハを訪れた時のことだった。
オフの期間、ターターは別れた妻と子供たちをプライベートジェットで呼び寄せ、様々なもてなしをした。でもみんな、それほど楽しそうでもなかった。
せっかくこうして久しぶりに会えたんだから、何としてでもファミリー(とまとめて一同を呼んでいるのはターターだけだった)を喜ばせてあげなきゃ。
張りきったターターは、東欧一の誉れも高いオッポルツァー・サーカスを貸し切り、元家族たちといろいろな出し物を見物した。
その中にいたのが、後の親友となる「驚異の歌う熊」、ヤロミール(Jaromír)だった。
そう、彼は生物学的に分類すると、熊だった。
本当かどうか定かではないが、彼は「今世紀の前半に絶滅したと言われている、カムチャッカ大ヒグマの唯一の生き残りなのであります」と団長のオッポルツァー三世は自慢げにアナウンスした。
鎖につながれ、ノソノソと四つ足でステージにあらわれたヤロミールは、ドスンとくつろいでスポットライトの中心に座り込むと、長いあごヒゲを三つ編みにした身長2メートルの美女が奏でるアコーディオンに合わせて、ターターの「Honeys From Heaven」(邦題「はちみつ大洪水」。ターターのハチミツのような歌声に誘われて天からのハチミツのどしゃ降りが世界を覆い、みんなテロンテロンのベットベトになってしまうがとっても幸せ、という歌)をその体躯に似合わない繊細な歌声で、しっとりと歌い出した。
ターターの数々の名曲は既に多くのアーティストたちにカバーされていたが、彼は熊の歌を聴きながら、初めてこう思った。
他のみんなはそうじゃなかったけどヤロミールは僕の歌を耳で聴くだけじゃなく、お腹の中に飲みこんで、心から理解してくれている。
ターターは感激に震えながら宙空に舞い上がり、涙を浮かべて熊の歌にハーモニーを合わせ、デュエットした。
それからファミリーの触れ合いなんかもうどうでもよくなってしまったので、ターターはその日のうちに元家族をまとめてアメリカに追い返し、三世団長の言い値でヤロミールを買い取りビバリーヒルズにもう一軒、熊名義の豪邸を購入し、そこに彼を招待した。ついでに2メートルのヒゲ美女も飼育係(ターターはその言い方が好きではなく、彼女をメイドと呼んだ)として、ついてきた。
そして夜も日も明けず、ターターはヤロミールと共に時を過ごした。
ターターは彼のことを、ヤロミールの英語読みであるジャロマイアから、Mr.ジャロームあるいはジャロ、またはジャージャーと呼んだ。
ヤロミールはチェコ語も英語も解さない様子だったが、ターターが何か歌うと、必ずそれに絶妙なハーモニーで歌を返し、応えてくれた。
これこそがターターが求めていた、本当の会話なのかも知れなかった。
ターターはようやくやっと、心の底からさみしくなくなった、ような、気がした。
だが、一つだけ残念なことがあった。
「いやあ、何だかんだ言ってもこいつは所詮ファッキンアニマルなんで、普通に危ねえからよお」
そんなようなことを片言の英語で言って、ヒゲ美女はヤロミールに重い鎖につながった首輪をはめ、決して(豪邸のリビングに特注でこしらえた)鋼鉄製のケージから出さなかった。
なのでターターは、親友とハグすることさえも叶わなかった。
けれどもターターが新しい曲を歌って聴かせるたびに、ヤロミールは予想外の方向から、しかしメロディに足りなかったものをおぎない、何倍にもふっくらさせてくれるハーモニーをつけ、応えてくれた。
来るべきターター&ヤロミールの楽曲が、次から次へと完成していった。
社会人になってから数年の間、若桑井は特に何事も起きない人生を送っていた。
あえて出来事を挙げるとすれば、上司の貝照(かいてる)係長と不倫しそうになったが、カラオケボックスでこっそり手をつないだり会議室でキスしたり、そのもうちょい先のあれこれをした程度でふわっと終わってしまったことと、会社の先輩後輩の女子たちで温泉旅行に行って、大浴場ではしゃいで潜水大会を急きょ催したところ若桑井が堂々の一位に輝いたが、がんばり過ぎて気が遠くなり、危うく素っ裸で溺死しそうにそうになったこと、くらいだった。
とは言え若桑井自身の実感としては、あまりにも普通で中くらいの20代の時間が淡々と過ぎていくだけ、という日々だった。